1.

 

 深夜零時。緊張と言う名の静寂に包まれた博物館に、警報が響き渡った。
「逃がすな!」
「あっちだ!」
 何十人もの警官の怒声が飛び交い、無数のサーチライトが私の姿を求めて狂った様に舞う。
 私は「獲物」を抱え、その光の間を縫うように走る。
 屋根の上、壁の上、庭に茂る木々の間、そして見張りの警官のすぐ背後を。
 あの警官は、背後に風が吹いたとしか感じられなかっただろう。
 消音機を埋め込まれた私の両足は、一切の足音を立てないのだ。
「なんで気が付いてくれないのよ…」
 ポツリと走りながら呟く。
「いっそのこと逮捕されてしまえば、もうこんな…泥棒なんかしなくても済むのに」
 この良心の囁き、いったい何百回目だろう。でもその度にあの女の言葉が甦る。
『もし、目標の奪取に失敗したら、ましてや警察の手に落ちるような事があれば…分かっているな?
 あたしはお前の自爆スイッチを押す。ためらいなくな』
 私をこんな身体にした女の、私に盗む事を強要する悪魔のような台詞。
「やっぱり、いやだ。私は…死にたくない!」
 死の恐怖から逃れるように、塀を飛び越える。でも、その着地地点には「あの子」が待ち構えていた。

 

 

 

「来たわね、“怪盗ガジェット”。私の読み通りだわ」
 私と同じくらいの歳の、トレンチコートに身を包み警官隊を従える少女。
 アズマ・ハツミ警部。私の逮捕の執念に燃えて、行く先々で立ち塞がる子だ。
「今よ、捕獲網、投下!」
 頭上から巨大な投網が私の身体に覆い被さる。
「くっ、こんな網」
 簡単に引き千切れる、筈なのに…
「無駄よ。いくらあんたの腕力が人並み外れでも、特殊強化鋼線で編まれた網を破る事は不可能だわ」
 警官たちの懐中電灯が一斉に私を照らす。
 夜闇というヴェールを剥がされ、私の漆黒のボディが浮かび上がった。                   illustration
 少女の輪郭をした機械。あの女に改造された、忌まわしい私の身体。
「年貢の納め時ね。さあ、神妙にお縄につきなさい!」
 じわりと、警官たちが迫ってくる。
(捕まる…捕まったら、殺される…)
「いやっ、こないでーーっ!!」
 それは、無意識の行動だったと思う。
 網を握る両手が青白い火花を散らした。直に当てれば巨象も倒すスタンガン。
「なっ! まだ…こんな…装備が…」
 阿鼻叫喚。電撃は鋼線の網を伝い、警官隊をことごとく気絶させた。
「ごめんなさい…でも私、死にたくないから」
「獲物」を抱え、網から這い出す。そのとき、背後からしわがれた声が私を呼び止めた。

 

 

「ま、待ってくれ!」
 振り返ると、白髪の老人が追ってくるのが見えた。この博物館の館長、今回の被害者だ。
「君の目的は何だ!? 金ならいくらでも払う、だからその石板は持っていかないでくれ!」
 この「獲物」…古ぼけた石板を盗る目的? そんなの、私が知るわけない。
 あの女に訊いても教えてくれる筈が無い。
 私はあの女にとってピッキングツールと同じ、盗むための道具に過ぎないのだから。
「頼む、持って行かないでくれ! それは人類史を解き明かすための貴重な…」
 老人が、すがるように手を差し出す。
「近寄らないで!」
「ひっ…」
 哀れな老人が、私を地獄へ引きずり込もうとする亡者に見えた。
 盗みに失敗すれば、私はあの女に殺される。だから私は悪くない。
 なのに、ズキリと、無いはずの心臓が痛んだ。