3.

 

 やられた。またアイツに逃げられた。
 スタンガンの火傷跡に絆創膏を張りながら、心の中で地団太を踏む。
 署に戻って手にした朝刊には、「怪盗ガジェット10回目の犯行」の文字が躍っていた。
「とうとう…十回目か」
 私は以前から、十回目の犯行までにアイツを捕らえると心に決めていた。
 同時に、もし、それが出来なかったら最後の手段に出る事も決めていた。
「警部、ハツミ警部?」
「あ、なに?」
 いつの間にか、部下の刑事が心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「ずいぶん深刻な顔をしてましたけど、大丈夫ですか?」
「またアイツを逃したのよ、深刻になって当然でしょ」
「いえ、それどころじゃないってくらい、すごい顔でしたよ。
警部、その一人で思い詰める癖、直してくださいね。いつでも我々が力になりますから」
「あ、うん。ありがとう」
 作り笑顔で返事をする。部下の好意は正直嬉しい。でも、こればかりは誰かの手を借りられる問題じゃない。
 部下達に仮眠をとるように告げ、私は捜査本部を後にした。
 向かう先は技術捜査部。そこで私の命じたものが完成している筈だった。


「カズヒロ技術官。例の物、出来ているわよね」
「は、はい警部。こちらがそれです」
 タニ・カズヒロ。私より六つ年上の部下が、モニターに設計図を映し出した。
 捕獲・拘束用の各種武装、目標を常に捉える複数のレーダー、そして賊の逃亡を許さない機動性。
 全てを完璧に備えた人型機械…いや、サイボーグの設計図だ。

 

 

 

「さすがは若き天才技術官ね。(“若き”といっても、私のほうが年下だけど)
 これならアイツと互角、いえ、それ以上に渡りあえるわ」
「はい…しかし警部、本当にこれを実用化するおつもりですか?」
 彼は不安げな表情で私に振り返った。
「もちろん、次の犯行までに実用化させるわ。さっそく志願者を募らないとね」
「志願者なんている筈ありませんよ。だって実験台になった挙句、人の身体では無くなってしまうんですよ?」
「大丈夫、私がいるわ。私が志願者第一号よ」
 さらりと、私は秘めていた決意を明かした。
 しばしの沈黙があった後、彼は暗い顔で口を開いた。
「やっぱり…最初からそのおつもりだったんですね」
「気付いていたの?」
「警部はいつもそうですから。どうしてそう簡単に自分の身を危険にさらしたり、
肉体を差し出したり出来るんですか?」
「私は天涯孤独だから。私の身に何かあっても、誰も悲しまなくてすむでしょう」

 私の家族、両親と妹は、私が三歳のとき、自宅に押し入って来た強盗の銃で命を落とした。
 強盗犯の供述によれば、私の家が狙われたのは、「たまたま目に付いたから」だという。
 私は実感した。人はどんなに清く正しい生き方をしていても、運が悪いだけでたちまち不幸に陥る。
 人生は不公平なのだ。
 だから、私は決めた。警察官になって犯罪と戦う事で、その不公平を少しでも正すのだと。
 これは誓いでもあるし、家族を失った私が生きる支えでもある。
 だから、そのために身体を機械に変えてしまう事くらい、なんでもない。
 私は改めてモニターの中の図面を見つめた。

 

 

 

 数日後、私のほかに志願者が現れる筈もなく、予想通り私は手術台とも作業台ともつかないベッドの上にいた。
「カズヒロ技術官。私の身体、任せたわよ」
「はい…」
 彼はさっきからため息ばかりだ。当然かもしれない。
 私は構わなくても、彼にとって生きた人間を機械にする事は、とても辛いに違いない。
「技術官」
「は、はい。なんでしょうか」
「あなたには構想から設計まで、いろいろ私の要望を聞いてもらったわ。おまけに辛い手術の役目まで
請け負ってもらったし。だから、お礼に何でも一つだけ、要望を聞いてあげるわ」
「えっ、その、何でも、ですか?」
「言っておくけど、違法な行為はダメだからね。違反のもみ消しとか予算の水増しとか」
「そ、そうですよね…警察官が違法行為はまずいですよね」
 また一つ、彼は大きなため息をついた。何を考えていたのやら。
 苦笑して壁時計を見上げると、手術開始の予定の時刻が迫っていた。
「そろそろ時間ね。願い事は、これが無事に済んでから聞いてあげるわ」
 傍らのグラスに手を伸ばす。
(後悔なんてしない。私は文字通り身命を賭して犯罪と戦うと誓ったのだから)
 グラスに映った自分の顔に一点の曇りも無い事を確認すると、私はその水で睡眠薬と麻酔薬の混合物を一気に飲み下した。

 

 

 

「…警部。聞こえますか?」
 誰かの声が聞こえる。それがカズヒロ技術官の声だと気付くまで、随分と時間がかかった。
「あ、うん。聞こえるわ」
 上方から照らされるライトが眩しい。どうやら私は仰向けになっているらしい。
「よかった。もし警部の意識が戻らなかったらと思うと…あ、安心するのはまだ早いですね、
身体はちゃんと動きますか? 手足とか」
「手…?」
 仰向けのまま、右手を顔にかざすように持ち上げる。
 掌が手術灯の光を受けてきらりと輝いた。
「…っ!」
 シーツをはねのけ、上半身を起こす。
 視線を落とすと、そこには純白に輝く金属の身体があった。
「あ…」
 やっと意識がはっきりした。私はサイボーグになったのだ。
「そ、そう、手足は…」
 問題なく、動く。
 モーターの振動が微かに感じられる以外は、人間だったころと変わらない。
 私の改造は無事に成功したようだった。
「大丈夫みたいですね。あと、各装備・パーツのチェックをしてみてください」
「…ええ、わかったわ」
 軽く目を閉じ、事前に説明を受けた通りにデバイスマネージャを立ち上げる。
 脳裏に私の全身の情報が一気に羅列された。
「…あら?」
 なにか、違和感がある。

 

 

 


 

「技術官。私の身体、設計と一箇所違っているでしょ」
「えっ、そ、そうですか?」
「私の記憶力を甘く見ないで。あの図面には無かったパーツが一個、埋め込んであるわ、下腹部に」
「そ、それは決して違法ではないというか…その説明は、あと二年待ってくれますか?」
 技術官が顔を真っ赤にしてぼそぼそと弁解する。
「は?」
「いえ、あと二年たてば合法になるので…このパーツのことを内緒にしておく件を以って、
さっきの願い事と言う事にしてくださいませんか…?」
「? まあ、あなたは信用できるから構わないけど…」

 そんなことより、早くこの身体を使いこなせるようにならないと。少女の輪郭の中に
数え切れない装備を搭載した、この身体を。
 そして、次こそ、アイツを捕らえるのだ。


 二日後、アイツの予告状が届いた。
「今度こそ、逃がさない」
 両腕で自分の新しい身体を抱いて、私はその決意を改めて口にした。