4.

 

 博物館の五階、大展示室。中央には二重三重の強化ガラスで守られた石板が鎮座している。
 重苦しい空気の中、壁時計が午前零時を知らせた。警官たちが一斉に殺気立つ。
 だが、何も起こらない。
「来ませんね」
 部下の刑事が小さく呟いた。
 徐々に警官隊に動揺が広がっていく。
(まさか、予告を反故にする気? いえ、アイツに限ってそんな筈は…)
 私までもが疑念にとらわれたその時、
「け、警部。あれを!」
 部下が指差す先、石板を守るガラスケースの内側に、一筋の光が立ち上っていた。
「プラズマ…レーザー! そんな、階下から!?」
 レーザーメスの大型版。それが真下の部屋から、コンクリの床を易々と貫いているのだ。
 私達が息を呑んだ一瞬のうちに、その光の筋が石板の周りをぐるりと一周する。
 まるでクッキーの生地を型で抜いたように、石板の置かれた床がきれいな円形に切り取られた。
(やられた!)
 強化ガラスに守られた空間の中、
 ズズズ、とコンクリートの摩擦音を響かせて、石板は床ごと階下へ沈んでいった。

 

 

 
 


 博物館に警報が鳴り響く。
 私は大展示室を飛び出し、索敵用の装備をフル稼働させながらを廊下を駆けた。
(まったく、なんてヤツなの)
 建物の図面がインプットされていたとしても、一発で石板の位置を見極めるなんて、生半可な性能じゃない。
 アイツには毎回毎回、驚かされてばかりだ。
(でもこの勝負、まだ負けてはいない)
 アイツはターゲットを入手すると、途端に隠密性が低下する。
 盗品にまで光学迷彩はかけられない、レーダー撹乱用チャフを使い切ってしまう、などの理由だろうが、
とにかく、一気に逃げ切る戦法に出るのだ。当然、排熱量も増え、熱感知レーダーにも引っ掛かるようになる。
「見つけた!」
 猛スピードで真下…四階の廊下を移動する物体。間違いない、アイツだ。
『試験運用機、アズマ・ハツミ。これより追跡・拘束モードへ移行します』
 動力炉の出力ゲージが跳ね上がる。その爆発的加速度を維持したまま、正面の窓へ突進した。
 窓ガラスの砕ける音が二つ。
 眼下に、石板を抱え宙に舞うアイツの姿があった。

 

 

 

(何なの、アレは!?)
 もう博物館から十キロは離れている。
 警備網からはとっくに脱出したのに、私は謎の追手を振り切れずにいた。
 追いつかれたら、捕まってしまう。そして、私はあの女に爆破処分されてしまう。そんなのは、絶対にイヤだ。
(お願い、ついて来ないで!)
 背面のブースターを全開にしているのに、あの白い機影との距離は一向に開いてくれない。
 まるで死神だった。夜の闇の中、私の命をとるために背後から迫り来る白い死神。
(どうして私がこんな目に…? 悪いのは私じゃないのに!)                                                                
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 追っ手の気配を感じる度に磨り減ってきた私の心は、もう限界だった。
 これ以上追われる事には耐えられない。だから、私がアレに捕まる前に、私がアレをやっつけてやる…!
 足の裏をアスファルトの路面にこすらせ、急ブレーキで停止する。
 石板を置き、右手甲に仕込まれたプラズマレーザー発振機を起動した。
 私の攻撃意思を察したのか、白い人型の機影もブレーキをかける。
 十メートルほど離れて私は追手と対峙した。
「え…?」
 互いに停止した事で、今ようやくその顔がはっきり見えた。
「うそ、なんで、あなたが…」
 見間違える筈が無い。今まで何度も私の前に立ち塞がったあの子の顔を。
「自称“怪盗ガジェット”、窃盗の現行犯で、逮捕するわ」
「あなた、ハツミ警部なの?」
「ええ」
「その身体は…まさか」
「察しの通りよ。私は、あなたを逮捕するために、あなたと同じになったの」

 

  

 

「なんで、なんで、どうして…!」
 私を捕まえるために…私のせいで、あの子は機械の身体になってしまった。
(私の責任なの? あの子から人間の身体を奪ったのは、私なの?)
 勝手に自分からサイボーグになったあの子を、憎いとさえ感じた。
(ただでさえ苦しんでいる私に、他人の肉体を奪った責任まで背負わせて、更に苦しめようというの!?)

「どうして!? どうして私なんかのために、身体を捨てちゃうの!?」
(私みたいなつまらない存在…ただの道具のために身体を捨てるなんて)
「“私なんか”ですって…!? あんたは、自分の罪の大きさが分かっているの!?
考えてみなさい、“持っていた石板があんたに目を付けられた”という偶然のためだけに、
理不尽な苦しみを味わった人たちのことを!」
「やめてーーっ!!」
 地を思い切り蹴り、右手を振るう。分厚い床も切断するレーザーの刃を、あの子の首めがけて振り下ろした。
 そう、私は悪くない。私は“あの女に目を付けられた”だけの偶然で苦しんでいる被害者なんだから。
 あの子が機械の身体になっても、あの子をここで殺してしまっても、それは私の責任じゃない!

 

 

 

 振り下ろしたレーザーの刃が首を両断するその寸前、白い残像を残してあの子の姿が消えた。
「えっ…」
「遅いわ。普通の人間ならともかく、私はあなたと同じなのよ」
「う…ああああ!」
 もう一度跳びかかる。
 正面から切り込むと見せかけて、寸前で再上昇し、頭上を飛び越えつつ姿勢を反転して、後頭部に…!
「そんな動き、見え見えよ」
「えっ?」
 あの子の掌が私を向く。直後、その掌の中央から爆発したように網目模様が広がった。
「きゃああぁぁ!」
 空中で私の身体は網に絡め取られ、地面に墜落した。
 前回と同じ強化鋼線の捕獲網。
 でも、鋼線には絶縁コーティングが施されているらしく、スタンガンは通じなかった。

 

 

 

「スラスターを得た人間がどういう動きを思いつくか、私は自分の身をもって知っているわ。
あんたの心理などお見通しよ」
 あの子が勝ち誇った顔で私を見下ろす。
(私の…心を?)
「ふざけないで!! あなたに…私の心が分かる筈なんて無い!」
「……?」
「あなたと私は同じなんかじゃない。私の…道具でしかない存在の苦しみなんて、あなたには…!」
 レーザーで網を切り払う。
 そのままあの子に跳びかかり、ひと息に右手肘を切断し、
「なっ!?」
 その断面に直接電撃を叩き込んだ。
「きゃあああぁ!!」


 黒煙を上げ、動かなくなったあの子の身体を見ないように、私は石板を抱え上げた。
 あの子は死んでしまったのか、それともまだ生きているのか分からない。
「私じゃない…悪いのは私なんかじゃ…」
 うわ言のように呟きながら、私は走り出した。
 あの子や警察とは別の、人を殺したかもしれないという恐怖から逃れるように。