10.

 

 屈辱だ。あの女を必ず逮捕するつもりでいたのに、逃げ帰るのが精一杯だった。
(捕らえるための身体に生まれ変わった私が、手も足も出ないなんて…)
 重い沈黙に包まれる捜査本部。そこへ、
「警部、十三枚目の石板の解読が終了しました! 至急技術捜査部までお願いします!」
 待ちかねていたカズヒロ技術官の内線電話が入った。
 
 
「十三枚目“滅ぶ者”の石板によれば、サイボーグである覇王が死に至った原因は、大規模な磁気嵐だそうで…」
「ストップ。 結論を先にお願い」
「は、はい、…この電磁波爆弾を炸裂させれば、根を含めた容疑者の動きを一時的に停止させる事が出来ます」
「つまり、あの根っこが動けない間に、一気に中央の本体に接近して倒してしまえば…」
 勝てる。
「しかし、動きを止められるのは僅か十秒間です。 つまり、あらかじめギリギリまで
本体に接近しておく必要があるんです。そんな危険な事を…」
「そんなの決まってるじゃない…」
 私がやるわ、と口にする直前、
『ちょっとまって! まさか…またあの場所に行くの?』
 身体の中からアイツの声が聞こえた。
『ええ。 この作戦がこなせるのは、この身体しか有り得ないわ』
『イヤっ!! もう絶対にイヤ! 私もうこれ以上怖い目に遭いたくない!!』

 

 

 


『だったら、せめて私は…私の脳は置いてってよ。 身体なんか無くてもいいから、
ガラス瓶の培養液の中でもいいから、私をあの女のところに連れて行かないで!』
 アイツの気持ちは痛いほど伝わってくる。 でも、私は心を鬼にして言わなければならなかった。
『…お願い。この作戦にはあなたの力が必要なの』
『そんな…なんで、どうして!?』
『残酷な要求だって事は承知しているわ。 でも、あの女を逮捕できるのは私達しかいない。
立ち上がらなければ、あなたは一生あの女の存在に怯え続ける事になってしまうわ』
『もうイヤっ!! 私は何も悪くないのに、もう散々ひどい目に遭ってるのに、
どうしてこれ以上辛い目に遭わなくちゃいけないの!?』
 
 ただ人生を呪うことしか出来ないアイツが、昔の私に…あまりにも似ていたから、
『甘ったれないで!!』
『えっ…?』
『確かにあなたは悪くない。 でもね、人生はそんな事で容赦してくれないの。
いくら自分の不幸を神様に訴えたところで、なにも好転しないんだから!』
 思わず、最も酷な事実を告げてしまった。
 
『………』
『ごめんなさい…警察官が口にしていい台詞じゃなかったわ…』
『いえ、べつに…』
 私の中に気まずい沈黙が流れる。
『…場所を変えましょう』
『えっ?』
 窓を開け、アルミのサッシに片足をかける。
「カズヒロ技術官、ちょっと出かけてくるわね」
「は? 警部、ちょ、ちょっと突然どこへ…」
 ぽかんと呆気にとられた彼を置いて、窓から署を後にした。

 

 

 

 警部さんが降り立ったのは、郊外にある田園地帯の休耕田だった。
『ここなら、ゆっくり話せるわね』
 そう言って、警部さんは草の上に腰を下ろし、そのままごろんと仰向けに転がった。
『あ…』
 視界にあるのは、一面の青空。
『ずっと夜の空しか見られなかったんでしょ? だから、見せてあげたくなって』
 そうだった。 夕に目覚めて、夜に盗み、明け方にまた眠る…その繰り返しの果てに、
私は空が青いという事まで忘れてしまっていた。
『…あ、ありがとう』
 同じ空の下に存在している筈の、あの女の事なんか吹っ飛んでしまうくらい、空は青々と晴れ渡っていた。
 
『あの、警部さん…あなたは“人間”なの?』
『人間よ。 法律的にはね、ココに入ってる脳みそがアズマ・ハツミ警部で、
この身体は支給された装備品。 手錠や拳銃と同じ扱いね。
だからこの身体である限り、私は一生 二十四時間 年中無休の勤務中なんだけど…』
『そうじゃなくて…まわりの人たちは、警部さんをちゃんと人間として接してくれるの?』
『もちろんよ。 ときどき部外者にロボットと間違えられるけど……
でも、刑事課のみんなも、カズヒロ技術官もいい人よ。 私の事を本気で心配してくれて』
『そう………』
 人間では無く道具として扱われた私とは随分な違いだ。 正直、ちょっと妬ましい。
 

 

 

 

『でもね、私の事を一番心配してくれたのは、あなただった』
『えっ?』
『この身体になってから初めて対決したとき、言ってくれたでしょう?
“どうして私なんかのために”って、泣きそうな声で』
『あ、あれは夢中で…』
『ありがとう。 あなたが私を心配してくれているって後で気付いたとき、とても嬉しかった』
『そんな! 警部さんは私のせいでサイボーグになっちゃったのに…私がお礼を言われるなんて』
 さっきまで境遇の事で嫉妬していた自分が恥ずかしい。
『いいの。 私はこの身体の事を後悔していないわ』
『後悔してない? …なんで』
『最後の事件のとき、あなたは用済みだって殺されそうになったでしょ?
そのときにあなたを救えたのは、私がサイボーグになって生体脳維持装置を備えていたからだもの』
『あ…』
 
 
『警部さん、決心できたわ。 あの女を逮捕する手伝いをさせて』
『あ、今のは別に恩に着せるつもりで言ったんじゃ…』
『いいの、そんな理由じゃないから』
『恩や義理じゃない…ってこと?』
『うん』
 私も警部さんのように、嘆いたり、恨んだりしない前向きで強い人になりたいから。
 そのために、目の前の試練から逃げ出さない、って決めた。

 

 

 

『ありがとう。事件が片付いたら、必ずお礼するからね…』
 ゆっくりと身体を起こす。
『ところで、あなたの名前、思い出せた?』
『ううん、まだ…思い出せないの』
 あの女に消されたのか、それとも拷問の結果か、私の改造される前の記憶はひどく曖昧になっていた。
『そう…このままだと呼ぶのに不便だから、とりあえず私が勝手に決めてもいい?』
『うん』
『じゃあ、“サチ”って呼ばせてくれる? 私の死んじゃった妹の名前なんだけど…縁起悪いかな』
『ううん。そんなことない』
 警部さんの心がなぜそんなに強いのか、少し分かった気がする。
 過去に私と同じくらいの苦しみを味わって、それを乗り越えた事があるからなんだ。
 
 
『あの女と戦うために、これからまた改造を受けなきゃならないんだけど、サチは何か欲しい機能はある?』
『欲しい機能……あ、あることはあるんだけど…』
『遠慮なく言っていいわよ』
『う…その…この身体は、ひとりエッチって、出来ませんか?』
 瞬間、警部さんの脳がフリーズするのが分かった。 
 
『ええと…よく知らないんだけど、やっぱり私達くらいの女の子って、…普通は、するの?』
『あ…その、たぶん…』
『そうなんだ…私はあんまりしたことなくて…あ、でも私のほうが少数派かもしれないし…』
 ぼそぼそと言葉を交わす。
 私だってそんなにするほうじゃないと思う。
 でも、あの女に調教された後遺症で身体が疼くなんて、恥ずかしくて絶対に言えなかった。