6.

 

 夜が更けたにもかかわらず、日中の蒸し暑さが和らぐ様子はなかった。
 といっても、機械になってしまった私は、自分の汗や体臭で煩わしい思いをすることがない。
「それじゃ警部さん、行ってきます」
「サチ、気をつけてね」
 見送る警部さんの顔は、不安に曇っていた。 
「大丈夫ですよ。 だてに十一回も警部さんを出し抜いてませんから」
「確かに…それもそうね」
 ちょっとだけ口惜しさの混じった警部さんの笑顔。
「じゃ、無事と成功を祈ってるから」
 そう言って、警部さんは私のほっぺに軽くキスをした。
 
(警部さん、ちょっと変だったな)
 自分が捜査の陣頭に立っているときは、あんなにキリッとしているのに、私を見送るときは、
(なんか心細そうな顔をしてたような…)
 そんなことを思いながら、J大付属病院へと家々の屋上を駆けた。
 
 
 
 J大付属病院は、県内でも最大の病院だ。 のどかな田園風景の中にそびえる白い巨大なビルは、
遠くからでもよく目立つ。
 病室の明かりはほとんどついていない。 患者は充分寝静まってしるようだった。
 
 塀を難なく乗り越え、庭の木陰を伝って、素早く病棟の壁に張り付く。
(久しぶりね…この感じ)
 緊張と興奮、そして見つかる事への恐怖。
 でも、以前とは違う。 人を救うためだという確かな意思がある。
 今の私には、身のこなしだけでなく、心にだって隙はない。

 

 

 

 機械の身体という私は、誰がどう見ても不審者だ。 かといって、光学迷彩の常時使用は
エネルギーの無駄使いになる。
 そこで、更衣室から看護服を一着、こっそり拝借する事にした。
「…と、これならパッと見バレないわよね」
 ロッカーの隣の鏡に自分の姿を映してみる。
 裾とニーソックスの間や、袖と手袋の隙間からチラリと黒い金属の肌がのぞいてしまうけど、
夜のうちは問題ないと思う。 頭のカチューシャ型のパーツは、ナースキャップでそこそこ隠れたし。
 
 変装を終えてまず向かったのは、院内のコンピュータールーム。
 誰もいないのを確認して、手袋を脱ぐ。 手首からプラグ付きコードを引出し、サーバーマシンに差し込んだ。
「管理の人には悪いけど…」
 体内のメモリに保存しておいた、特製ウイルスをサーバーマシンにインストールする。
 カズヒロさんが言うには、これはトロイの木馬という種類のウイルスで、感染したパソコンは
簡単にハッキングされるようになってしまうらしい。
『警部さん、聞こえますか? 任務その一、完了です』
 無線で成功を報告する。
『私は引き続き、看護婦に変装して院内の探索を続けますね』
『了解よ。 こちらはすぐに病院のパソコンに侵入して、データを引き出すわ。 何か分かり次第、連絡するわね』
『はい、早めにお願いします。 それじゃ、また』
『サチ、大丈夫? 怪しまれたり正体ばれたりしてない?』
『大丈夫ですって。 ちょっと不届きな物を見つけちゃいましたけどね』

 

 

 

 任務その二、それはつまり「新たな改造手術の芽を摘むこと」だ。
 患者さんも利用する病院の施設を破壊するわけにはいかないから、さらわれた“あの女”を救出するか、
まだ顔も名前も知らないサイボーグ候補の少女を保護するしかない。
(しらみ潰ししか手は無いわね)
 時間なんていくらあっても足りないけど、夜が明けてしまう前に何としてもやり遂げなければならない。
 私はコンピュータールームを後にすると、薄暗い病棟へ踏み込んだ。
 
 
(次は、精神科の病棟か…)
 数時間の探索が徒労に終わり、次第に焦りが生まれてきたそのとき、
(……!?)
 私は異様な気配を感じ、足を止めた。
 ただ高性能なセンサーを積んだだけでは絶対に分からない。 悲しいけど、泥棒の第六感というやつだ。
 明かりの消えた病室の中で、息を殺して外の様子を窺っている何者かが確かにいる。
(501号室に一人、503号室に二人、506号室にも二人ってところね……)
 異常だ。
「ここだ」という興奮と「どうすれば」という思考で、私の脳が熱くなっていく。
(私の姿を目撃されるわけにはいかないから、作戦は限られるわね…なんとかして連中をおびき出せば…)
 
 そのとき、505号室の扉が、音を忍ばせるようにゆっくりと開いた。