9.

 

 産廃処分場から拾われ、警察署のベッドで起き上がったのもつかの間、私はまたもとの動けない身体に
戻ってしまった。
 動けないどころか、身体の感覚がない。 痛覚を遮断するために、脳と身体を繋ぐ回線を切ってしまったからだと、
カズヒロという白衣の人から説明された。
 私に残された機能は、かろうじて修復された視覚と聴覚だけ、自分の意思を伝える事さえ出来ない。
「発声機能の修復も急いでいますが…いろいろと、問題が発生しまして…」
 カズヒロさんは言葉を選びながら理由を説明してくれたけど、そんなの最初から分かってる。
私が、人違いで出来た失敗作…欠陥品だからだ。
 
 
「ユカリさん、聞こえますか?」
 カズヒロさんの声がする。
「予想以上の速さで、身体の劣化が進んでいます…少しでも遅らせるために、これから薬液の中に
入ってもらう事になります。 辛いでしょうけど、どうか我慢してください」
 天井から降りてきた何本ものアームが 仰向けのまま私の身体を持ち上げ、ゆっくりと部屋の隅へと運ぶ。
 アームのロックが解除され、落ちる、と思った瞬間、水音と共に視界が緑色に染まった。
(!?)
 幾つもの泡が上へと飛んで行く。
(薬液の中って、こういう事だったの)
 私の身体は、緑色の薬液で満たされたガラスの水槽の底に沈んでいた。
(…沈んでる…身体が)
 大好きだった水泳の時間、水の中を自由に、空を飛ぶ鳥のように泳いでいた私の身体は、
決して水に浮く事の出来ない金属に置き換わっていた。
(もう、泳げないんだ、二度と…)
 理科室の標本のように横たわりながら、私は麻痺していた悲しみが実感となって
よみがえるのを感じた。

 

 

 

 カドイデ教授の容疑固めが遅々として進まない中、一ヶ月が過ぎようとしていた。
 サチが首尾よく実験体の娘を救出できたからといって、悠長にしている暇はない。
 時間がたてば、教授等は新たな娘を実験体として拉致するだろう。
  
「要するに、改造技術を持つあの女さえ救出してしまえばいいんですよね」
「サチは簡単に言うけど…あの広い病院内のどこに囚われているか、全く分からないのよ。
ハッキングで入手したデータからもね。 連中、よほど用心深いみたいで…」
「だったら、こうすればいいんです」
 サチが一通の封筒を手渡す。 中には便箋が一枚。
「“午前零時、貴殿秘蔵の技師を頂戴します。 Gadget”…!? これは、予告状じゃない!」
「そうです、予告状です。 これを受け取った教授は、あの女の警備を一層固めますよね」
「つまり…その警備網の中心に、」
「はい、あの女がいるってワケです」
「で、でも、ガジェットだった少女が今は警察官になっているのは、衆知の事実よ。 違法捜査って事が世間に…」
「大丈夫です。 世間的には、たまたまイタズラの予告が届いて、たまたまその日にあの女が自力で
脱出した事になりますから」
 笑顔でさらりと言ってのけるサチ。
「…サチ、意外と大胆なのね」
「何言ってるんですか、慎重なだけじゃ十一回も警部さんを出し抜けませんよ」
「…ホントに、もう二度とサチを敵には回したくないわね」
 改造される前のサチの記憶は消えてしまっているけど、どんな娘だったのか、なんとなく想像できる気がする。
 あの女が白羽の矢を立てたのも、この備わった素質のせいなんじゃないだろうか。

 

 

 

 予告状作戦は、カズヒロ技術官にも伝えておいた。
「サチならきっと助け出してくれるわ。 あなたのお姉さんなんでしょう」
「やっぱり、気付いてらしたんですね…私の姉だって事」
「私は…あなたのお姉さんが、また記憶喪失になっている事を期待しているわ。 だって、犯罪者と
姉弟関係だという事が公になったら、警察の中であなたの肩身が狭くなってしまうもの」
「ええ、風当たりは強くなるでしょうね。 でも、僕は姉さんの記憶は戻ったままでいて欲しいと思います。
何より、サチさんに謝ってもらわなくてはなりませんし…」
「あ…」
「それに、姉さんと父との間に何があったのか、僕は知りたいんです」
「あなたの、父親?」
 既に半年前に知っていた事だったが、私は敢えて知らない振りをした。
 あの女の正体を突き止めようとした結果とはいえ、無断で家庭の事情を探った事を、カズヒロ技術官に
知られたくなかったからだ。
 
「優れた技術者だった父は、労働者と道具の一体化による生産性の向上を主張していましたが、それが原因で
祖父から勘当されました。 姉さんは、ただ一人の父の理解者として、僕や祖父の制止を振り切って、
家を去る父について行ったんです」
「そして、そのお父さんに、改造されてしまった…」
「まさか、自分自身がサイボーグ技術の実験台にされるなんて、姉さんは思ってもいなかったんでしょう」
「そして、逆上したカズヒロさんのお姉さんは、そのお父さんを絞め殺した…というわけね」
「ええ。 でも、もしかしたら、姉さんは最初から父に騙されていたんじゃないかって、思うんです。
姉さんが労働者の機械化に賛同したのも、父に付き従ったのも、全部父が仕組んだ事じゃないかって…」
「きっと分かるわ。 サチが予告した明後日の夜にね」
 
 だが、この稀代の怪盗の予告状を、カドイデ教授が受け取ることは永遠になかった。
 その夜、J大付属病院からの110番通報があった。
 “精神科の患者が、催眠療法による治療中に発狂。 カドイデ医師らを絞殺し、逃走した”